軍艦島・外観
                   
−概 要−
 ここでは、軍艦島の外観を紹介します。
 
−ギャラリー−
 
外海側(北東側→南西側)
 軍艦島上陸クルーズは、上陸前に島を周遊してくれます。
 ということで、外観からご紹介。
 外海側(その1-1)。
 こちらは外海側です。北東の端から南西の端までを流します。
 北東の端。横に長いのは69号棟(端島病院)、その手前のこちらから向こう側に伸びているのが67号棟(鉱員合宿)、 右後ろの圧迫感のある大きな建物が島内最大の65号棟(鉱員社宅)のコの字型の上辺に当たる部分です。
 67号棟の左側には68号棟(隔離病棟)がありますが、護岸堤防が高くて船からは見えません。
 外海側(その1-2)。
 少し南西側にスライドして。
 縦にストライプ状の特徴的なラインが並ぶ建物は66号棟(独身寮)です。
 66号棟の右の同じ形の2棟は左から60号棟(鉱員社宅)、61号棟(鉱員社宅)です。
 背後にはコの字型の65号棟(鉱員社宅)の全体が映っています。
 右上には端島神社の社(拝殿の後ろにあったのでこれが本殿?)が望見できます。
 外海側(その1-3)。
 上掲の60号棟(鉱員社宅)、の右には同じ構造の59号棟(鉱員社宅)です。
 59号棟〜61号棟は3兄弟のように同じ造りです。この辺りは波しぶきが護岸を超えることが多かったということで、 潮降り街、と呼ばれていたそうです。
 59号棟の右(画面右端)は16号棟(日給社宅)です。
 外海側(その1-4)。
 16号棟より海側(画面右端)に51号棟(鉱員社宅)が見えてきました。
 59号棟のある護岸には開口部と階段が設置されています(赤と白の注意書きの看板が貼られているところ)。
 ここは通称「めがね」と呼ばれ、島内で発生するゴミをここから海中投棄していたそうです。
 外海側(その1-5)。
 59号棟〜61号棟の3兄弟の正面を確認。
 外海側(その1-6)。
 白っぽい建物が先ほどの51号棟(鉱員社宅)、その右側が48号棟(鉱員社宅)です。
 外海側(その1-7)。
 48号棟(鉱員社宅)の右側が39号棟(公民館)です。
 39号棟(公民館)の右側には50号棟(映画館)がありましたが、これは崩壊して残骸が積みあがっていますね。
 背後の岩山の上には高級職員が入居した3号棟(職員住宅)が聳えています。
 外海側(その1-8)。
 中央が50号棟(映画館)跡です。
 その右のへの字型に屈曲した白い建物は31号棟(鉱員社宅)です。
 波による被害を防ぐために窓が小さめに設計されています。
 外海側(その1-9)。
 31号棟(鉱員社宅)の全景です。
 一番下の左から2番目の窓が大きく開口していますが、ここは2階部分に相当し、この開口に ベルトコンベアが貫通していました。
 石炭にはならない不要なズリを海中投棄するためのものです。
 背後の岩山の上にあるのは貯水槽です。
 貯水槽の右には、無人島化してから設置された灯台が。灯台は太陽電池で稼働しているそうです。
 外海側(その1-10)。
 31号棟(鉱員社宅)の右側、画面中央左よりには日本最初の鉄筋コンクリート造の30号棟(鉱員社宅)が黒く 映っています。
 画面中央右側は仕上工場です。
 外海側(その1-11)。
 南西の端まできました。
 ココには第3見学広場があります。
 外海側から望見した軍艦島の全景です。
 コレを撮りたかったヽ(≧▽≦)ヾ。
 まさに軍艦の趣ですね!。
 軍艦島の近隣に顔を出している「三ツ瀬」です。
 以前は海底炭鉱の換気用のダクトが顔を出していたとか。
外海側(南西側→北東側)
 外海側(その2-1)。
 南西の端。
 このあたりは平面図では丸っこい端部なのですが、こうして 横から水平に見ると、まさに軍艦の艦首のようですね。
 外海側(その2-2)。
 仕上工場付近。
 外海側(その2-3)。
 30号棟(鉱員社宅)付近。
 護岸はここでくびれています。
 外海側(その2-4)。
 30号棟(鉱員社宅)から31号棟付近。
 外海側(その2-5)。
 31号棟(鉱員社宅)付近。
 建物がへの字型に屈曲しているのは、もろにぶつかってくる波のエネルギーを 左右に受け流すためだそうです。
 外海側(その2-6)。
 31号棟(鉱員社宅)左端と50号棟(映画館)跡付近。
 外海側(その2-7)。
 50号棟(映画館)跡から39号棟(公民館)付近。
 39号棟(公民館)の後ろの、4つ上下に窓が開いている白い建物は21号棟(鉱員社宅)です。
 外海側(その2-8)。
 39号棟(公民館)から48号棟(鉱員社宅)付近。
 48号棟(鉱員社宅)と岩山上の3号棟(高級職員住宅)の間に建つのは14号棟(職員社宅)です。
 20号棟(鉱員社宅)の右側のクリーム色のベランダの建物は13号棟(教員住宅)です。
 外海側(その2-9)。
 48号棟(鉱員社宅)から51号棟(鉱員社宅)付近。
 護岸に穿たれている四角い穴は、島内に流れ込んだ海水や雨水の排水溝です。
 外海側(その2-10)。
 51号棟(鉱員社宅)。
 外海側(その2-11)。
 51号棟(鉱員社宅)から16号棟(日給社宅)そして3兄弟の59号棟(鉱員社宅)付近。
 外海側(その2-12)。
 3兄弟の59号棟(鉱員社宅)〜61号棟(鉱員社宅)付近。
 外海側(その2-13)。
 61号棟(鉱員社宅)から66号棟(独身寮)付近。
 外海側(その2-14)。
 66号棟(独身寮)から端島病院付近。
 外海側(その2-15)。
 北東の端です。
 北東の端から南西の端を望むとこんな感じです。
 こうして見ると大きな島のように感じますね。
 全景が入るように斜めに撮ってみました。
 北東の端の周りを廻って内海側に移動します。
 全景が収まりました。
 さらに周回。
 左の白い建物は70号棟(端島小中学校)です。
 その右隣りは島内最大、コの字型の65号棟(鉱員社宅)。
 右端の背の低い白い建物はこれまで見えなかった68号棟(隔離病棟)です。
 さらに周回。
 ココでほぼ北東側の真後ろです。
 内海側が見えてきました。
 ドルフィン桟橋には他社のクルージング船が接岸しています。
 ここから先は内海編で。
 海がベタ凪です。
内海側(南西側→北東側)
 内海側(その1-1)。
 南西の端です。
 ここは外海側と内海側で見えるものが違う、ということはありません。
 岩山で隔てられている辺りからが「違いの判る」部分ですね。
 内海側(その1-2)。
 イキナリ岩山が始まりました。
 左端は総合事務所跡、岩山の上には貯水槽があります。
 右端は外海側からも見えていた3号棟(高級職員住宅)。
 岩山の山肌には3号棟に向かう緑道が確認できます。
 手前の桟橋が上陸に使われるドルフィン桟橋です。往時は潮位に応じて上下する昇降口があったそうです。
 内海側(その1-3)。
 このあたりは貯炭場があった場所です。
 真横なので解り難いのですが、軍艦島といえばコレ、というほど有名なアイコン、 ベルトコンベヤの支柱が等間隔に立っています。
 内海側(その1-4)。
 護岸の外側の海面に顔を出しているアーチ橋のような構造物は 石炭を搬出するベルトコンベヤの鉄骨構造(今は無い)を支える橋台です。
 内海側(その1-5)。
 岩山の上には端島神社の社。
 中央下の赤いレンガの屋根は第四竪坑巻座があった建物です。
 その左隣には、第一主要扇風機室の屋根の骨組みがぐにゃっと潰れて見えます。
 第四竪坑巻座の右隣の鉄筋が剥き出しているのはは資材倉庫、資材倉庫の後ろは65号棟(鉱員社宅)です。
 65号棟(鉱員社宅)から隣の56号棟(職員社宅)に連絡橋が掛かっています。
 内海側(その1-6)。
 同じエリアを少し俯瞰で。
 内海側(その1-7)。
 手前に伸びている白っぽい建物は70号棟(端島小中学校)です。
 その向こうはおなじみ65号棟(鉱員社宅)です。
 右端の背の低い建物は69号棟(端島病院)です。
 内海側(その1-8)。
 同じエリアを少し俯瞰で。
 70号棟(端島小中学校)の最上階7階が、最近の台風で画像の通り崩壊仕掛っています。
 内海側(その1-9)。
 迫力なので70号棟と65号棟をアップで。
 70号館(端島小中学校)の窓が大きいのは、子供たちが住んでいる社宅の窓が小さく、また高層アパートが 連なるエリアは下層階に光が差し込まない暗い環境であることから、せめて学校では陽の光をたくさん 取り込むようにしよう、という配慮からだそうです。
 その為にも海側に面した建物とはできなかったのですね。
 内海側(その1-10)。
 南東の端です。
 内海側(その1-10)。
 少し離れたところから全景を。
 外海側の周遊でも同じアングルで撮ったような(^-^;。
内海側(北東側→南西側)
 内海側(その2-1)。
 こんどは逆側に流します。
 護岸の外側にはところどころ消波のためのテトラポットが沈置されています。
 内海側(その2-2)。
 70号棟付近。
 護岸には鉄扉が設置され、海面への階段が視認できます。
 人が住んでいた往時にはここは小舟用の桟橋だったそうです。
 内海側(その2-3)。
 上掲のエリアのアップです。
 65号棟と69号棟(端島病院)の間に見える67号棟(鉱員合宿)には、特徴的なX字階段が設置されています。
 これも軍艦島のアイコンの一つですね。
 狭い幅の中で上りと下りを同時に通行できるように配慮された階段です。
 内海側(その2-4)。
 70号棟の左下には、71号棟(体育館)の丸屋根の骨組みが視認できます。
 護岸の右半分は、近年補強工事で処置されたものです。
 内海側(その2-5)。
 資材倉庫近辺です。
 内海側(その2-6)。
 第四竪坑巻座と第一主要扇風機室の屋根の骨組み近辺。
 護岸の上部が外側に張り出しているのは波返しです。
 内海側(その2-7)。
 70号棟(端島小中学校)の裏側のアップです。
 なんかエライ凸凹してますね。
 増築と改築を繰り返したからでしょうか。最上階は中央が崩れてへにゃっとなっています。
 内海側(その2-8)。
 岩山主要部です。
 3号棟(高級職員住宅)から貯水槽まで。
 山肌には縦横に山道(緑道)が走っています。
 内海側(その2-9)。
 端島神社の社のアップです。
 実は、軍艦島の1号棟はこの端島神社なのです。いかにも日本的な整理ですよね。
 細い支柱でかろうじて立っていますo(>. <)o
 拝殿はもうありませんが、神様が宿る本殿が残るとは、、、印象的ですね。
 内海側(その2-10)。
 端島神社の敷地全体です。
 本来は本殿の左側に拝殿が。拝殿の左側にと鳥居(門のようなものがその遺構?)が立っていました。
 岩山には崩落に備えて金網による簡易養生がなされています。
 内海側(その2-10)。
 貯水槽の近辺のアップです。
 この辺りの地上面に第一見学広場があります。
 中央右には島内に入るためのトンネルがありますが、これは往時にも同じ形で使われていました。
 ドルフィン桟橋から上陸した島民が居住エリアである島の向こう側に渡るため、鉱業地区のこのエリアを 地下を通ってスルーするためのトンネルだったそうです。
 護岸左側の2つの円柱状の突起はクレーンの台座です。
 内海側(その2-11)。
 30号棟付近です。
 補修された護岸ではありませんが、波による劣化が見られません。
 内海側(その2-11)。
 このあたりに第二見学広場があります。
 護岸中央左よりの大きな開口部は、島内からも見ることができ、波がどっぱんどっぱん 入ってきていました。
 内海側(その2-12)。
 船着き場でおっさんが磯釣りを楽しんでいます。
 内海側(その2-13)。
 南西の端です。
 内海側(その2-14)。
 内海側からものした軍艦島の全景です。
 うーん。ふつくしいヽ(≧▽≦)ヾ
 外海側と異なり、レンガの赤、岩山の緑がモノトーンの外側の全景とことなり 豊かな色彩的印象を与えます(^-^)。
 そしてやはりベタ凪
 内海側(その2-15)。
 ドルフィン桟橋から護岸を見渡しました。
 石炭の積出桟橋の橋台が並んでいます。
 内海側(その2-16)。
 上陸見学を終え、島を去る船の中から撮りました。
 もっとゆっくり島内を探検したかったよぉ〜o(>▽<)o
 内海側(その2-17)。
 どんどん軍艦島が小さくなっていきます。
 海面はうっすらとガスっていたので白んできました。
 内海側(その2-18)。
 中之島の近傍から捉えました。
 さようならぁ〜ヽ(≧▽≦)ヾ