呉の歴史コーナー
                   
−概 要−
 ここでは、大和ミュージアム1階の、呉の歴史の展示コーナーの様子を紹介します。
 
−ギャラリー−
 呉の歴史展示コーナーの様子です。
 迷路のように設定された順路のため、かなり多くの展示物があります。
 順路は「凹」字型に近い感じですね。
 これは順路の中間部にある大和に関する展示が集中するエリアです。
 中央には巨大な呉の立体模型もあります。
 東洋一の軍港・呉。
 呉の発展の歴史は鎮守府の設置から始まりました。
 これは当時4カ所設置された鎮守府の所在とその担当管区の説明図です。
 往時の呉の賑わいを示す錦絵です。
 既に碁盤の目状の街区が拡がりつつありますが、未だ海軍工廠はない談階のようですね。
 これは呉海軍工廠が初めて建造した軍艦、通報艦「宮古」の設計図です。
 CADなどはない時代ですが、着色された設計図ではあったわけですね。
 上掲の設計図などから生み出された通報艦「宮古」の模型です。
 やはり最初はこれくらいの小型艦から造るものですよね〜。うんうん。
 これも呉海軍工廠で建造された一等巡洋艦「筑波」です。
 この時点ではもう戦艦一歩手前までの建造能力が備わっていたのですね。
 これは第六潜水艇沈没事故についての説明ボードです。
 潜水艦の黎明期、多発した沈没事故の中で唯一、日本海軍のこの第六潜水艇の事故だけは乗組員が パニックに陥らず、全員が配置を守ってその最期を遂げていたということで当時世界中で報道された事件でした。
 世界中の潜水艦乗りが尊敬し、英国の潜水学校の教範にもなっているという出来事です。
 「第六潜水艇」「佐久間艇長」「佐久間勉」などで検索すると多くの資料を目にすることが出来ます。
 上掲の第六潜水艇の模型です。
 まだまだ潜水艦技術の黎明期であることが容易に看取できますね。
 これは呉ではなく横須賀海軍工廠で、重巡「高雄」が進水した際に配布された高雄の文鎮です。
 行ってみれば激レアものですね〜(^-^;
 これは巡洋戦艦「金剛」型に搭載されたヤーロー式ボイラーの1/1スケールジオラマです。
 こうしてボイラー員がせっせこ石炭をくべていたんですねぇ。
 ヤーロー式ボイラーの説明パネルです。
 金剛はイギリスで建造されたもので、呉ではないことにご留意。
 そしてこれが金剛です。
 模型は竣工当時の巡洋戦艦の姿ではなく、第二次改装を終え高速戦艦となった姿ですが。。。
 これは金剛型が老朽化する時期を想定した代艦の試案です。
 大和型の設計に影響を与えたのは右側の平賀案です。
 東洋一の軍港・海軍工廠となった呉とその隣の広海軍工廠の立体地図です。
 呉の部分のみを撮影しました。
 中央の海軍工廠艤装岸壁には大和が係留されています。
 
 これは建設中の、大和を建造するためのドックの様子です。
 船渠には目隠しのためにシュロ縄が掛けられましたが、その量があまりにも膨大だったために一時的に国内の シュロ縄が枯渇したという話もあります。
 これは戦艦長門の模型の艦橋周囲アップです。
 ね(^-^)b すご〜い細密でしょう?
 艦橋のテラスに張られたキャンバスの鉄枠に巻かれたロープすら再現されています。
 こちらは航空巡洋艦最上の上部構造物のアップです。
 細密な様子を知って貰うため敢えて全体像を撮らずにここだけアップで撮りました(^-^)。
 海大型と呼ばれた部類に属する巡洋潜水艦、伊16と伊52です。
 
 こちらは航空機搭載潜水艦2種です。
 伊37と伊400です。
 伊号400潜水艦はよく「海底空母」等と言われますが、普通に考えたら「水中空母」「海中空母」でしょうね。 海底じゃあ沈没状態です(^-^;
 これは呉海軍工廠の隣、広海軍工廠で開発された、ロケット戦闘機「秋水」のロケットエンジンノズル部です。
 鋳物技術がベースになっています。
 こちらも広海軍工廠で開発された91式飛行艇です。
 米軍の空襲を受けている呉の航空写真です。
 なんといっても東洋一の軍港、海軍工廠ですから、繰り返し繰り返し空襲されたようです。
 こちらは呉からフェリーで20分のところにある江田島への空襲の様子です。
 爆撃を受けているのは金剛型戦艦の「榛名」です。
 これは呉から望んだ広島の原爆のキノコ雲です。
 広島からJR呉線で40分掛かるこの街からもこれほど巨大な雲として見えていたのですね。
 戦後、民間工場として払い下げられ、復興著しい呉の街の様子です。
 これは大和の設計図の実物です。
 信号灯フラット(信号灯の台座)部分と書いてあります。
 大和の解剖図です。
 大和の各部の技術が戦後どのように活用されているかを図示しています。
 でもちょっと無理矢理のこじつけっぽいところもありますね(^-^;。
 主砲塔の構造解説模型です。
 主砲塔一基で駆逐艦一隻分の重さがあるということです。
 1.5m探照灯の実物です。
 実物なのは鏡面だけですが。。この鏡面は戦後しばらく工業用反射炉として使われていたそうです。
 沈没している大和の艦首・菊花御紋章を捉えた潜水艇のカメラ画像です。
 調査によって明らかになった大和の沈没状況をジオラマにしたものです。
 艦体は真っ二つ、全ての主砲塔は沈没の転覆時に全て艦体から抜け落ちて別々に海底に沈底しています。
 大和の沈没状況の説明ボードです。
 微妙にジオラマと違う気もしますが。。。
 これは現代の呉の産業を紹介する最終コーナーです。
 これで呉の歴史はおしまい。
 呉で建造されたタンカー「鵜戸丸」です。
 船首、中央の船橋、後部の構造物の三つの盛り上がりがある船形からこういうタンカーを一般に「三島型」と呼ばれていたそうです。
 これも呉で建造されたタンカーです。
 現在も日本船籍としては最大の46万トンタンカー、日精丸です。